労働者に対する損害賠償と賃金を相殺できるか?

賃金の支払には、全額払いの原則があり、賃金は全額を支払わなければなりません。

 

ただし、例外として、①法令に別段の定めがある場合(所得税の源泉徴収、社会保険料の控除など)、②当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合に限り、賃金から控除して支払うことが認められています(労働基準法24条1項ただし書)。

 

そこで、使用者が、労働者に対して有する損害賠償請求権と賃金支払義務を相殺することが、この全額払いの原則との関係でできるかが問題となります。

 

この点、労働者の不法行為に基づく損害賠償請求権と賃金の支払義務の相殺の可否が争われた事案において、最高裁は、「労働者の賃金債権に対しては、使用者は、使用者が労働者に対して有する債権をもって相殺することを許されないとの趣旨を包含するものと解するのが相当である。

 

このことは、その債権が不法行為を原因としたものであっても変わりはない」と判断しています。(日本勧業経済会事件 最大判昭和36年5月31日民集15巻5号1482頁)

 

したがって、一般的には、使用者が一方的に、労働者に対する損害賠償と賃金を相殺することはできないと解されています。

 

これに対し、使用者と労働者が相殺することに合意している場合には、損害賠償債務と賃金支払債務とを相殺することは許されると解されています。

 

判例でも、「労働者がその自由な意思に基づき右相殺に同意した場合においては、右同意が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的な理由が客観的に存在するとき」には、賃金支払債務と相殺することは労働基準法違反にはならないとしています。(日新製鋼事件 最二小判平成2年11月26日民集44巻8号105頁)

 

なお、同判例では、全額払いの原則に鑑みて、労働者の同意が自由な意思に基づいているか否かの判断は、厳格かつ慎重に行わなければならない、とされています。